まどか☆マギカの感想

今更かもしれないですが、最近「まどか☆マギカ」見ました。いろいろ思ったことを書きたいと思います。

特に、物語の解釈に関わってくることを書きたいので、(今更かもしれないですが)ネタバレが嫌な人は読まないで欲しいのと、もし私と考え方が違っても優しく諭してね☆ということで、よろしくお願いします。


まどマギとの出会い

普段アニメを見ず、萌えともあまり接点がない私がまどマギに興味をもつきっかけになったのは、ニコニコ大百科の「魔法少女*1」の項目を読んだことです。

魔法少女になるための代償」というのが、「はじめから必殺技を使え」という問題提起への答えでもあり、魔法を使うことの矛盾への答えでもあるように思ったからです。(その点、おジャ魔女どれみはうまく表現していたと思っています。)

そして、「マミる」という言葉が代表するような、ネタバレの数々をニコニコ大百科で読んだ上で、魔法少女に対するメタ的な視点から、まどか☆マギカを見てみようと思うようになりました。この時の私の観点は「『魔法少女になるための代償』の物語としての昇華」だったと思います。

魔法少女になる代償

まず最初の日に、第1〜3話を見ました。前もってネタバレを読んでたこともあったので、このあたりはまだ想定の範囲内でした。

「願いを叶える代わりに魔女と戦う」…。何ごとも、ただで手に入れることはできないのです。奇跡を起こすのに対し、代償を払うのは当たり前のことです。マミさんの「死」を描くことは残酷ではありますが、奇跡の代償をきちんと正面から描いたことに意味があったと思います。

その上で、その代償を持ってしても魔法少女になることを選ぶのか、普通に生きることを選ぶのか。その選択が描かれるのがと思っていました。

魔法少女になる本当の意味での代償

次の2日間で第4〜8話を見ました。ここまで見て、まどか☆マギカの批判を書こうかと思い、このブログの立ち上げを決めました(笑)。

「奇跡を起こすのに代償が必要」というのは、そうでなければ世の中に矛盾が起こってしまいます。しかし、その代償の大きさを、マミも、まどかも、さやかも、視聴者も私も分かっていなかったようです。奇跡を起こすのに必要な代償は、死ぬことでも、死への恐怖でもありません。希望への代償は絶望でした。物語は非常に残酷な方向に進んでいきます。そこには救いはありません。

その意味で、偉そうな言い方になってしまいますが「魔法少女になる代償をきちんと正面から取り扱ったことは評価したいけど、出来上がった作品としては絶望しか表現できていなくて、物語のありかたとしては間違っている。」と感じました。端的に言うと、「試みには賛同するものの、作品には賛同できない」ということです。

そして、そこには「奇跡」を扱うことに対するそもそもの矛盾があるのだなと思いました。

ただ、最後まで見るとまた印象が変わるかもしれないと思い、最後まで見ることにしました。

最終回、ハッピーエンド

そして…、案の定印象が変わりました。

奇跡への代償として絶望を描きながら、その絶望を乗り越えた終わり方になっていました。いろいろ意見はあるのではないかと思いますが、私はハッピーエンドだったと思います。

その部分を考える上にも、「希望と絶望はつりあっている」ということは前提として考える必要があって、忘れてはいけない点だと思います。

まずまどかについて考えます。

さやかは、想い人のために奇跡を起こし、そのために絶望しました。一方で杏子は、魔法の力は自分のために使うべきとしました*2。しかし、まどかは自分のためだけに魔法を使うような自分勝手な人ではない一方で、人のためだけに魔法を使うことの末路も見ています。そして、ほむらちゃんや、まどかの家族にいかに大事にされているかを知りました。

そのまどかの答えは、自分だけのためでもなく、他人だけのためでもなく、自分も含めたみんなのために奇跡を起こすことなんだと思います。だから、他人のために奇跡を起こして絶望した自分をも救うことができたのです。


一方で、ほむらちゃんについても考えてみたいと思います、
ほむらちゃんの場合は、「まどかを救いたい」というのが望みでした。まどかが死んだり、絶望したりするところを何度も見ながら、それでもまどかが救われる道を探していました。だから、まどかの最後が絶望ではなくなって、(精神的に)いつでもまどかと一緒にいられるようになったことは、ほむらちゃんにとって救いのはずです。

まどかにマミの死を突きつけ、さやかの魔女化の仕組みも突きつけ、これはとても残酷なことですが、これがまどかの母が言う「わざと間違える」ということだと思います。一方で、「まどかをどれだけ大切にしているか」も伝えることができました。まどかは、ほむらちゃんに魔法少女の末路としての絶望と、自分の大切さの両方を教えてもらったから、まどかの思う答えを見つけられたのだと思います。

その結果としての世界というのは、決して楽園ではなく、もとの世界と同じように、希望もあれば絶望もあります。どの世界においても、「希望と絶望はつりあっている」という条理を変えることはできないのです。しかし、まどかがまどか自身の絶望を救ったことで、まどかは救われており、そのことでほむらちゃんも救われているのです。魔法少女は魔女になる前にこの世から消え去る世界になったのが、まどかがいた事の証明です。だから、ハッピーエンドだと思うのです。

奇跡はあった

「希望と絶望はつりあっている」というのが世の中の条理だとするならば、代償として絶望が待っている奇跡は本当の奇跡ではなく、この条理を乗り越えることが本当の奇跡なんだと思います。その意味で、まどかは奇跡をおこしたと思います。

まどかは他人を救うことで背負った絶望を自分で救っています。一方で他人を救った絶望を自分で救った分、また絶望が待っているはずです。まどかは無限に絶望を背負いこんで、無限に自分に希望を与えています。その結果、魔法少女から絶望だけを取り除くことができました。

これが、ほんとうの意味での奇跡だったと思います。

最後に

もっと書きたいことはあるのですが、それは別の機会にしておきます。とりあえず言っておきたいことは、「キュゥべえは世の中の条理に従ったまでで、別に悪くない」ということです。

それから、このような壮大な作品を作った方々を尊敬いたします。そして、ありがとうございました。

*1:現在は若干内容が書き変わっていますが、当時読んだのは、 http://dic.nicovideo.jp/r/a/%E9%AD%94%E6%B3%95%E5%B0%91%E5%A5%B3/1072941 です。

*2:実際にはここまで単純な図式ではないです。